伊藤剛臣

法政二高時代に当時の担任の勧めでラグビーを始める。高校代表に選ばれると、法政大3年時の大学選手権では25年ぶりに法大に優勝をもたらした。法大卒業後は名門・神戸製鋼に入社。1994年度の全国社会人大会、日本選手権7連覇に貢献。その連覇の2日後に阪神淡路大震災にあう。神戸をラグビーで勇気付けたいという思いから、1999年・2000年度の全国社会人大会・日本選手権で連覇を果たす。さらにはトップリーグ開幕初年度(2003年)優勝と、チームの中心選手として貢献した。
40歳で神戸製鋼の契約終了を受け、一度は引退を決意する。しかし消すことの出来なかったラグビーへの情熱と、東日本大震災で被害を受けた釜石に神戸での思いを重ね、何か貢献したいとトライアウトを受ける。その結果フィットネスでチームトップの結果を叩きだし、2012年に釜石シーウェイブスに移籍。
2017年46歳で引退を決意。2018年1月のチーム最終戦をもって、約30年間続けた現役生活にピリオドを打った。46歳まで現役を続けた、ラグビー史上でも稀有なプレイヤーであった。日本代表ではW杯に2大会出場。1998年のアジア大会では主将を務めるなど、日本ラグビー界を長きにわたりけん引した。代表キャップ62は歴代8位の記録(2018年9月現在)。
現在は「ラグビーの魅力」を表現できる解説者を目指しながら、ラグビー界、さらには2019年のラグビーW杯を盛り上げるべく、大会アンバサダーとしても多方面で活動を行っている。

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