村上眞一

印旛高では1981年春の選抜で甲子園の決勝まで進むが、土壇場でサヨナラ負けを喫して準優勝。同年夏も県予選準決勝で敗退する。1981年オフにドラフト外で阪急ブレーブスに入団した。
1984年に代打で初出場を果たすと初打席初本塁打。2打席目も代打本塁打という史上初の記録でデビューを飾った。同年の広島東洋カープとの日本シリーズでは2試合に代打として出場、第2戦では9回に二塁打を放ち1打点、チームの逆転勝利に貢献した。1985年には二塁手の定位置を得て52試合に先発出場するも、その後は故障もあって一時不調をかこった。1988年には復活を果たし、外野手、指名打者として活躍する。1990年には怪我のブーマー・ウェルズに代わり、5月から一塁手としてレギュラーに定着して45試合に先発出場する。1996年限りで現役を引退した。
その後はソフトボール日本リーグ1部の豊田自動織機のバッティングコーチとなり、日本リーグ3連覇に貢献した。2009年には関西独立リーグ・神戸9クルーズのコーチに就任。選手兼任コーチ、監督代行としても登録された。同年限りで退団。
2016年の学生野球資格回復研修を経て、2017年2月に日本学生野球協会から学生野球資格回復の適性認定を受けた。

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