松本栄一 エピソード/コメント

Episode1:明治大学
僕は、明治大学サッカー部の門をたたいた。
同じ浦和で僕の1つ下の学年に西野朗がいた。高校は隣の浦和西で大学は早稲田だった。西野の甘いマスクは当時から評判で、早稲田と試合をするときにスタンドには西野のファンの女子大生で溢れた。
我が明治の応援席は、僕らが頼みこんで来てもらったスナックやキャバレーのおねぇさんが来てくれたが監督には「どいつが連れてきたんだー!」と怒られていたっけ。寮も当時、世田谷にあったがボロボロでパチンコ屋のほうが居心地が良いほどだった。内心オシャレな早稲田が羨ましかったけど、僕には明治が性に合っていた

Episode2:WE ARE REDS!
当時、レッズは野人・岡野が得意の俊足を生かしサイドへの早いパスに追いつきゴールにつなげる攻撃が効果的だった。僕は、浦和レッズを勝たせたいがために、レッズに有利になるようにボールがタッチラインを割りにくくするため、白線部分の芝生の下に盛り土をして地盤を押し上げ、多少のボールはタッチラインで止まるような細工をした。バレないもんだからと調子にのってどんどん高低差を広げていったある日、、、審判団に見つかり大目玉!
We are REDS!! I am RED CARD!!

Episode3:みんな英雄(マラドーナ)
日韓W杯。Jヴィレッジを合宿地に選んだ鬼才マルセロ・ビエルサ率いるアルゼンチン代表。妥協を許さないビエルサは私の作った芝生を称賛し、同い年の変わり者同志は意気投合。ミーティングはもちろん、三食を共にするよう命じられ、彼らは毎日ステーキかBBQ。元々食べることは好きだったのもあって、彼らが帰国する2ヶ月間で85キロだった私の体は100キロ近くに。引退後のマラドーナそのものだった。キリンカップでアルゼンチン代表が日本に招待された際もフォーシーズンズのスイートで共に宿泊させてくれた。
ちなみに、ビエルサはその後、チリ代表の監督に就任し、南米ノーマーク国から快進撃を遂げ、世界的な強豪チームへと導いたことは今でもサッカー史に残るエピソードとして語り継がれているが、その際もビエルサから連絡を受け、チリのピッチの補修に行ったり、スペイン・ビルバオ監督時代に試合に招待してくれたりと未だに交友が続いている。

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